プールのあと、あたしらの間に何かあったかと言われるとそんなことは全く無く。
「おはよう」
「まっつー、おはよう」
「おはよう、桃松」
挨拶ができるぐらいの仲には進展した。
だからどうというわけではないのだけれど。
こうも普通すぎると委員長の危機感どうこうではなく、実は話なんてすっかり忘れてるだけかと思ってしまう。
「おーすー」
「はよ、アキ眠たそう」
「眠い」
巽の席に座っているノリに挨拶してぼんやりと椅子に座ると、もそもそと教科書を準備する。
「おはよう、まっつー」
「おはよー」
7月になり、委員長たちとも挨拶をするおかげか女子がみんな挨拶したり話しかけてくれるようになった。
やっとクラスが落ち着いたといった感じなのだろう。
兄ちゃんのおかげか、ノリたちと遊んでいても女子から睨まれることもなくなり平和すぎる毎日だ。
ただたまにシスコンぼそぼそと可哀想な目で見られるのは勘弁したい。
「うーす」
「やっほー、巽」
巽の声に振り向いて、いつもいるはずのもう一人に挨拶をしようとした。
けれど彼の隣には誰もいなかった。
「あれ、誠二は?」
「徹夜で死んでる」
確かによく見ると廊下側の後の席で死んでいた。
いつものフローラルな感じはなく、あれはまさに男だ。
それにしても、徹夜…?
「ほら、もうすぐ期末テストだろ」
忘れてた。
そう言って笑おうとすると、自分の隣から強烈な悪寒を感じた。
「アキ…テスト勉強まだしてないの…?」
気のせいか背後にやたら強烈な文字でゴゴゴゴゴという文字が見える気がする。
スタンド:兄貴、みたいな。
「やだなぁ、別にしてなかったわけじゃないよ?」
「そうなのか?」
「ちょっと、そう、ちょっと中間テストから休憩を…」
「巽、腕押えてて」
「わわわ!やめてやめて!」
ちょっとお茶目に言い訳をしようとしたら危うくリンチを食らいそうになった。
「うー、勉強嫌ーい」
「学生がバカなこと言うんじゃありません」
「えー」
兄ちゃんは意外と勉強にうるさい(自分が才色兼備だからって放っとけよなー)
そのせいかノリはまるでお母さんのようにあたしに勉強しろと言う。
たぶん兄ちゃんがあたしにしっかり勉強させるよう仕向けてるんだろう。
「いいじゃない、どーせ終わったら夏休みだし」
「…補習はあるんだよ?」
「数学だけは得意なんだけどねぇ」
ぐちゃりと机に突っ伏すると、巽にグリグリと撫でられる。
「安心しろ、どの補習にも俺は居る」
それは安心できない。
「そうだ、今度の日曜に勉強会やろうか」
「そりゃあいいけど」
「よし、そうと決まったら夏雄さんに電話しよう♪」
兄ちゃんと連絡とりたいだけかい!
まぁ、口実とはいえ勉強会をしてくれるのは助かる。
けど兄ちゃんに連絡するってことはうちの家かぁー…。
「出しっぱなしにしてたビデオ片付けないと…」
「俺は何も突っ込まねぇぞ」
巽ったら冷たい。
いそいそと兄ちゃんに電話するノリは大変可愛らしい。
けどその姿をぼんやり見ていると、ふと兄だけじゃ無理だということを思い出した。
「兄ちゃんとノリだけじゃ勉強会にならないなぁ」
「あ?夏雄さん賢いだろ」
「いや、あの人最初はいいんだけど途中からノリと消えるから」
「やめろよそういうネタは」
いや、事実だし。
「奈央さんは?」
「今週の日曜は確か補講だって言ってた」
「そもそも奈央さんそんなに頭良くねぇよな」
こらこら、なんてことを。
けど巽の言うことももっともなので口には出さない。
ごめんね奈央ちゃん、あたしにはフォローしきれない。
「誰か賢いやつに頼んだらどうだ?」
「賢いっつったって居るっけ?そんなの」
「いるだろ、約1名」
「1名?」
誰だろう。
「1年生だけど俺らより賢いやつ」
「知らない」
「いやお前、そんな」
「知らない」
否、思い出したくない。
むしろ忘れたい。
「せんぱぁーーーーーい!!!!!!!」
ほら、言うから…。
「巽、あれは少しでも噂したら来るの。
せっかく今まで呼ばないように生活していたのに…」
「あぁ、なんか、悪かった」
「アキせんぱぁい!ひどいじゃないですかぁ!
まさかアキ先輩のクラス探すのに7月までかかるなんてぇ!裏で色々工作してたでしょう!?」
甘ったるい口調。
ふわふわの髪。
あたしはとりあえずとぼけることにした。
「すいません、どなたですか?」
「またそんなこと言ってぇ!ちゃんと私のレーダーが反応したんですから無駄ですよぉう!」
「レーダーって何?」
「子宮がうずきだして…」
「黙れ、変態」
ガッ
全部言い切る前に準備しておいた教科書で殴った。
角で。
「やぁん♪そんな激しい照れ隠しも好ぅーき♪」
ぎゅー。
ぞわぁ。
わぁ、すごい。夏なのに寒い。
抱きつかれた瞬間に体が鳥肌を通りこして岩肌になっていた。
「あー、桃松」
あまりの強烈さに、いつも元気なみどりんがちょっと放心気味に聞いてきた。
その後ろには軽く怯え気味の委員長も居る。
「…なに?」
あたしはよほど遠い目をしていたらしい。
なんか目を逸らされた。
委員長に至っては涙をこらえそうな勢いだ。
「えーっと、後輩?」
「うん。えーっとなんとか美幸」
「佐藤美幸ですよぅ、いい加減覚えてくださいぃ!」
「らしいよ」
「らしいよって…」
「先輩とは同じ穴のムジナなんですぅ♪」
「いえ、違います」
「さっきからあんたたちの言ってることが一切噛みあってないんだけど」
同じ穴のムジナというのは、まぁ、つまりそういうことです。
でもあたしからすればまったく違う。
レズとバイは別物です!!!!!!!!!
女子しか愛せないのと女子も男子もどっちも好きっていうのは全然違う!
と、主張するのにこいつは一言も聞かない。
お前は結婚する道もあるかもしれんがあたしは一本道なんだ邪魔すんな!
っていうかそれ以前にあたしが隠している事実を軽々しく口にしようとするな。
何かマズいことを言いだす前に手で口をふさぐことにした。
ハァハァ息が当たってすごく気持ち悪い。
「あんたにも仲の良い女子が居たのね」
「あたしはこれを仲が良いとは認識してない」
「へぇえ〜」
くっ、あたしが嫌がっているのを楽しんでいる顔だ!
「えーっと、佐藤さんだっけ」
「美幸でいいですよぉう!」
「美幸ちゃん、もっとくっついていいわよ」
「やったぁ☆」
いや、☆じゃないから!
もっと強く抱きしめようとしてきた美幸の腕から辛うじて抜けだし、慌てて巽の後ろに回り込む。
「あたしを抱きしめるならこいつごと抱きしめろ!」
「え〜、嫌ですよぅ。巽先輩ほんと怖いんですもん」
「あ?普通だっつの」
「いや、その態度は怖いよ」
眉間に皺を寄せてメンチを切る巽は完全にヤンキーだった。
ふと、笑うみどりんの後ろで下を向いて黙りこんでる委員長が気になった。
「委員長?どしたの?」
巽の後ろから顔を出すだけという格好悪い状態で委員長に話しかけてみると、ボソリと委員長が声を漏らした。
「…子宮がうずくって、病気じゃない?」
「委員長、今度あたしんちで保健の勉強しようか」
「ヒナ、やめておきなさい」
なんか教室が生温かい空気になった。
いつのまにか電話を終えていたノリが固まっていたあたしたちの元に戻ってきた。
「なにやってんの?」
「保健体育の話」
「違うってば」
みどりんは会話の内容を思い出して恥ずかしかったのか顔を真っ赤にしながら否定した。
ある意味あってはいるんだけど。
「ああ、そういえば委員長も賢いよね」
「そんなことないと思うけど、どうして?」
相変わらずノリと委員長は並ぶと絵になるなぁ。
綺麗とかそういうのじゃなくて、なんというか爽やか。
「今度の日曜、アキんちで勉強会するんだけど委員長も来ない?」
あぁ、待て。
そんなことを言ったら反応するやつが…。
「はいはいはーい!私が教えますよ先輩!手とり足とり、こ・し・と・り」
「…げろ」
「ちょっと、吐かないでくださいよ!」
「お前はいらない」
さすがに後輩にテスト勉強を教えてもらうのは…。
賢いのは知っているけど途中でいらないことを挟みすぎるから嫌なんだ。
中二の時、こいつに勉強を教えてもらうと散々なことになった。
やれご褒美だと抱きついたり、やれお仕置きだと押し倒されたり。
「あんたとだけは嫌だ」
「えぇ〜そんなぁ〜!」
「じゃあ、私はいいのかな?」
声のほうに恐る恐る顔を向けると、にこりと笑う委員長。
「…それは申し訳ないし、いい」
「人に教えるのって自分への復習にもなるし、気にしないでいいよ」
「うー…」
ここで素直にうんと言うとちょっと甘えすぎな気が…。
「ちょ、ちょっと待った!」
意外なようで意外でないようなところから反論が。
みどりんはあわあわと委員長にすがりついた。
「わ、私の勉強は!?今回は見てくれないの!?」
「え!?それはもちろん見るよ。いつも見てるんだから」
「見てください!一人じゃ絶対無理!」
「…ほほぅ」
ニヤリとみどりんを見ると、しまったと顔を諌めた。
さっきまで頼りなく委員長にすがりついていたみどりん。
…どうやら、これこそ同じ穴のムジナらしい。
「そっかぁ、みどりんはそんなにお勉強できないんだぁ」
「う、うるさいわね!あんたよりはマシよ!」
二人してひっそりとみんなから聞こえないように後向きに座り込む。
「…こないだの英語は?」
「34点」
「あたし45点」
「うっそ!え、じゃあ国語は?」
「26…」
「やった、私52!」
「ちぇー」
「二人とも、聞こえてるから。
そんでどんぐりの背比べみたいなもんだから」
苦笑して後を振り向くと、ノリが呆れたように頭を抱えていた。
「なんか、聞いたこともないような点数でしたね」
「…こいつ!賢いからって調子にのりやがって!」
「アキ、怒れないから。結構ヤバいから…」
「うーん、でもどうしよう?みどりの成績もまっつーの成績も大事だし…」
ええ子や。
けどまぁ、お気持ちだけ頂戴しておこうかな。
「あー、いいんちょ…」
「大丈夫ですよ、アキ先輩には私が保健体育を交えながらやらしく教えますから」
「うげ…」
断るとコイツになるのか…っ!
遠慮して断ろうとした言葉を引っ込めた。
誠二はまだマシなはずだけど自分のことで手いっぱいだろうし。
やばい、選択肢がない!!
「別に、委員長と鈴城まとめて勉強会に呼べばいんじゃねーの」
ナイスフォロー巽。
いやでもそれは申し訳ない気が…。
「そっか、それなら大丈夫だね!みどりもそれでいい?」
あ、あれー。
「まぁ、いいけど」
いいのかよ。
いつも散々一緒に居るの嫌がるくせに!
「ちっ、せっかくのチャンスだったのに」
美幸め、舌打ちしやがった。
「大体!ひどいですよ先輩!いつもアキ先輩を支えてきた私を放ったらかしてこんな女に勉強を教わるなんて!
この浮気者!」
仮にも先輩に向かってこんな女とか言うな。
あと誰がいつお前を正妻にした。
「委員長に向かって暴言を吐くのはあたしが許さんぞ〜」
「あいたたた!痛いですアキ先輩!」
いつの間にか抱きついていた体を抱え込み、コブラツイストを決める。
兄妹喧嘩のおかげか我ながらプロレス技は上手いと思う。
「わ、私は大丈夫だからっ!」
「いや、放っておくと調子にのるからこれぐらいがちょうどいいんだよ」
「えぇえ…」
調子にのらせれば保健室行きは避けられなくなる。
…さすがに青春まっただ中に好きでもないヤツを抱きたくはないし抱かれたくはない。
「ネコ専門なんですよ!」
「黙れ変態!」
「変態に変態って言われるってすごいわね、ヒナ」
「私に同意を求められても…」
「じゃあ、夏雄さんに全部で6人ってメールしとくよ?」
ん?6人?
「俺は行かねぇぞ」
「巽冷たい」
「アホ、俺だけ行ったら確実にあいつに呪い殺されるっつの」
あいつと指された彼はまだどろりと机に突っ伏していた。
「あー、後ですごくわめきそうだね」
「だろ?」
「じゃあ委員長とみどりんとノリと兄ちゃんとあたしだね」
うんうんと頷いていると絞めていた首がギギギと曲がってこっちを向いた。
「ちょっとアキ先輩!私が入ってないです!それにそれじゃ一人足りませんよ!」
「お願いなので来ないでください。そして首があり得ない方向に曲がっていて気持ち悪いです」
「丁寧な口調が真剣さを帯びていて嫌過ぎます」
「じゃあマジダルビッシュ」
「コギャル口調も嫌です」
「アキ、そういえば夏雄さんから伝言」
「何?」
美幸から手を放すと、ノリが爽やかにドロドロしたことを言った。
「リビングに広がってるエロビデオ片付けとけよ、だって」
あたしは気付いたら、みどりんの手によって廊下に出されていた。
…美幸と一緒に。
その日、みどりんからずっと冷たい目で見られながら授業を受けた。