晴れた空。
目の前には冷たそうなプール。
これが最後の秋晴れだろうと思う。
「…それにしてもやけに展開がはやいっすなー」
「もう大会なのねー」
久々に競泳用の水着に袖(無いけど)を通して早数週間。
昔のタイムを取り戻し、とりあえず大会に出て恥ずかしいような人間にはならなかったものの。
「…うぅ、胃が痛い」
「いつも人前でエロ本読む子が何言ってるの」
あれは生理現象!
「っていうかなんでサポーター奈央ちゃんなの?兄ちゃんや巽や誠二は?」
「巽君や誠二君は万が一のときの知識がないし、夏雄がサポーターじゃ周りが怖いわよ?」
確かに…。
兄ちゃんのことだから他の学校の水泳部にも知り合いはいるだろう。
ましてや、そこそこ速かった兄ちゃんの妹なら余計な期待をされてしまう。
サンダルに接着剤で画鋲はもうやだなぁ。
「その分、アキちゃんは顔が…」
「桃松秋生!?」
「顔が…」
割れてないから、と言いたかったんだろう奈央ちゃんにタラリと冷や汗が。
「なんであんたがここに…」
振り向いて顔を確認するとそこにはなんと。
なんと…!
……なんと?
「どちら様ですか?」
「中学校の時同じ水泳部だった秋月年子よ!!!」
ほぅ。
「アキちゃん、知り合い?」
「ダメだ、全然思い出せない」
「キーッ!!!」
正直中学校の時の周りの人って覚えてないんだよね…。
ほら、まぁ、色々あったし。
「なに、あんたまだ水泳部続けてるわけ?」
「いや、違うけど」
「じゃあなんでここに居るの?」
この子、有志の出場のこと知らないんだろうか。
…頭悪そうだもんねぇ(偏見)
「さてと、奈央ちゃん。うちの学校の水泳部は?」
「あっちね」
「無視するんじゃないわよ!」
たしかに、あの辺には応援もいるのかうちの制服がゴロゴロいた。
水着の上に学校のロゴが入ったパーカーを着ているのが出場選手だろう。
と、いうことはあの中に委員長やみどりんがいるのか…。
「奈央ちゃん。あの辺りは避けるよー」
「え?ヒナちゃんに見てもらわなきゃ意味ないじゃない」
奈央ちゃんに向けて指を立てると、あたしは横に振った。
「甘いね、奈央ちゃん」
「アキちゃん、それ昭和っぽい…」
ただ出て「わぁすごい!」で、頼りになると思ってもらえると思っているのかね!
「はい、ここでこの変装セット」
「アキちゃん、それただのゴーグルと水泳帽よ」
「これをつければもう完璧!」
これで顔は見えまい!
顔さえ見えなければこっちのもんだよ!
「ちょっと無視するんじゃないって言ってるでしょ!」
二人で小漫才を始めようとしたところで、また茶々を入れられた。
「なに?まだなんか用?」
「…あんたが水泳大会に出場することが許せないのよ!」
「そう言われてももうエントリーしちゃったしねぇ」
奈央ちゃんと顔を見合わせると、油断したせいか肩を壁に押さえつけられた。
「アキちゃん!?ちょっと、あなた乱暴なことは…」
「いいわね、出場したら痛い目みるわよ」
おぉ、痛い目…。
それだけ言うと彼女はスタスタと自分の学校の水泳部の元へ帰って行った。
「大丈夫?」
「うん」
あれくらいならまだ軽い。
当時は割と蹴る殴ーるでもっと痛かったしこれくらいは実に平気。
だ が し か し。
やり返すことはしなければならない。
「あの子は確か短距離だったっけ」
「なんだ、覚えてるの?」
「おぼろげに」
「おぼろげ…」
確かあの子は奈央ちゃんが見に来た時に怪我して出れなかった子だ。
代わりにあたしが出ることを本気で嫌がってたなぁ。
まぁそれがわかってたからいやがらせに言われるまま出たんですけどね。
たぶん他の人たちより人一倍あたしを嫌ってるんだろう。
「同じ距離だといいなぁ」
「おー、正攻法でのしちゃうんだ?」
珍しいといった顔をしてるなぁ。
あたしだってまっすぐを投げるときだってあるよ。
「ああいうタイプは正攻法で負けた方が、凹むんだよ」
ニヤリと笑うと、奈央ちゃんはカラカラと笑った。
「やっぱり陰険だー!あははは」
「もうほんと、陰湿なやり口なら任せて」
怒らせるのは得意中の大得意です。
「まぁとりあえずアキちゃんの傍には私がずっといるから。
安心して泳いでて」
「うん」
入念に準備体操を終えたアキちゃんは、しばらくして柔らかい床を探し始めた。
「なんで柔らかい床?」
「ジンクスだよ、おまじない」
おまじない?
そんなものあったんだ。
「よし、ここでいいかな」
周りに人が少ないのを確認すると、アキちゃんは急にでんぐり返しをした。
「アキちゃん?」
「これでよし!」
「こうやって地面を転がればさ、貧乏神みたいのがくっつかないと思わない?」
うーん。
それは確かにそうだけど…。
「それって勝利の女神もくっついてくれないじゃない」
「あー…」
ちょっと幸先の悪いこと言っちゃったかしら。
「でもそれなら完全に実力勝負だよね」
…こういうとこ見せればかっこいいのに。
普段は可愛いしぐだぐだだからこういう時のギャップにちょっとドキっとするのは私だけじゃないわ、たぶん。
それにしてもヒナちゃんに頼りにされたい、だなんてお姉ちゃんちょっと寂しい。
「そういえばアキちゃん、どうしてヒナちゃんにバレちゃダメなの?」
「ふふふ…あたしのプランとしてはだね」
「うんうん?」
「まず大会で頑張って泳ぐでしょ、ベスト入りするでしょ」
展開早いわね。
「そんで「あの人は誰かしら?」と委員長がなるわけよ」
「うんうん」
もうだいぶ予想ついたわ。
「そこで委員長があたしにコンタクトを取るわけだ」
「…」
「で、ゴーグルを外したらあたしだった、と。そこからドキドキトキメキトキスになるわけだ。
かっこいい、あたし!」
変なとこでポジティブで空回りな計画立てるのは完全に兄似よね。
自覚ないんだから突っ込みづらいわー。
「ま、ある意味印象には残るわね」
「でしょー」
可愛いからこのまま放置にしましょう、うん。
『100m自由形に出場する方は…』
「さて、アキちゃん。そろそろ出番よー」
「うぃーす」
やる気あるんだかないんだか…。
でもアキちゃんが本気で泳ぐのを見られるのは嬉しい。
スタートの合図で一斉に泳ぎだす高校生たち。
アキちゃんは最初はゆっくり、後から着実に追い越す。
ターンするころにはもう完全に一人勝ちだった。
まぁ冠大会って言ってもまだ歴史浅いし周りはこんなもんよね。
それでも強豪と言われる学校もあるから今回は運が良かったのかしら。
『1位、個人、桃松秋生。2位、玉子山、…』
あら、名前呼ばれるからモロバレじゃない。
アキちゃんの計画って割と穴だらけよね。
「アキちゃん、ひとまずお疲れ…」
声をかけようとして、アキちゃんが顔を真っ赤にして俯いていたことに気付いた。
どうしたのかしら、鼻から水飲んじゃった?
慣れたけどやっぱり痛いのよね、アレ。
「…奈央ちゃん」
「ん?」
「どうしよう、泳ぎ足りない」
…そういえば、高校生だっけ。
顔を上げさせると、まるで恋に気付いたみたいな女の子の顔をしていた。
真っ赤に頬を染めて困ったみたいに眉を寄せて目を潤ませて。
やっぱり、アキちゃんは私の理想だわ。
可愛くてしょうがない。
泳ぐことが好きで好きでたまらなくて、放っとくとずっと泳いでて。
長距離を時間かけてゆっくりと泳ぐのに見ていて全然飽きない。
だから昔から短距離には出なかったのね。
短距離じゃ、満足しきれないから。
「でも、今日は我慢よアキちゃん」
「うぎー」
今にも走り出してプールに飛び込みそうなアキちゃんをはがいじめにしてなんとかパーカーを着せて宥め切った。
「あー、泳ぎたい」
「我慢よアキちゃん。まだまだ泳げるから」
「お菓子ってちまちま食べる方がお腹すかない?」
それはお菓子の話よ。
「わかったわかった。全部終わったら好きなだけ泳げるようにプール行きましょう」
「競泳用で?」
「うん、競泳用で」
「じゃ、我慢する」
と、言いつつ足がガンガン貧乏揺すりしてるわ。
「ベスト入りまであと何勝?」
「えーっと、7回勝てばなんとか、かな」
「うぎー」
待ちきれないのね…。
せめて言葉で訴えてちょうだい。
「ほら、いつまでも不貞腐れてるとまた神様寄ってきちゃうわよ!」
「うぎぎぃ」
言うこと聞かないんだからもー。
「まっつー!」
あら、やっぱり来た。
「うげ、委員長」
うげとか言わないの。
無言でぎゅーっと耳を引っ張ると、しぶしぶアキちゃんは大人しく座り込んだ。
「大会出てるなら言ってくれれば良かったのに!」
そしてそのままよしよしとアキちゃんの頭を撫でるヒナちゃん。
…あぁ、これが嫌なのね。
アキちゃんはその手をぺいっと払うとむっすりとした顔のままヒナちゃんを見た。
「みどりんは?」
「違う種目だから昨日に終わってるの。応援にはきてるよ。
こんにちは、奈央さん」
「はい、こんにちは、ヒナちゃん」
にこやかに笑い返すと、ヒナちゃんはくすぐったそうに笑った。
うん、やっぱりこの子もアキちゃんとは違うベクトルで可愛い。
「やっぱりまっつーは凄いね。一人だけ別世界だったよ」
あぁ、アキちゃんの顔がどんどんぶーたれてく…。
褒められたいくせに褒められると嫌な顔するのやめたほうがいいわよ、アキちゃん。
「委員長は何に出てるの?」
「うん?同じ競技だよ?」
あら、なんてこと。
そういえば体が少し濡れている。
アキちゃんの前に出番があったのね。
「奈央ちゃん、ごめん、あたしベスト入り無理だわ」
諦め早いわ。
「大丈夫だよ、私はそんなに速くないから」
「えー、でも現役でしょー」
「ヒナは本番に弱いだけで普段は速いわよ」
「おや、その声と豊満なバストは…みどりん!」
「胸を見て判別するな」
「おぉ、その強い拳はやはりみどりんの証…!」
みどりちゃんはアキちゃんを好きなだけ殴ってから私の方を向いた。
「こんにちは、文化祭以来ですね、奈央さん」
「こんにちは、みどりちゃん」
…相変わらず凄い体…。
あら、文化祭の時は気付かなかったけどプールの時より成長してない?
凄いわね、周りの男性の目線釘づけだわー。
ただアキちゃんの視線も独り占めしてるみたいだけど…。
「ヒナちゃんは本番に弱いの?」
「…はい」
恥ずかしながら、と眉をハの字にするヒナちゃんはほんとに困ってるみたい。
なんで本番に弱いのかしら。
「緊張しちゃってうまく動けないんです」
「ヒナは昔からこういう大会とかコンテストとか苦手よね」
「うーん、出たいとは思うけどやっぱり動けないんだよね」
最初もなんとか2位で越えられたみたい。
勝ち残るためには2位以上じゃないといけない。
3位じゃ健闘しても次がない。
「みどりは完全に逆だよね」
「うん、私は本番の方がタイム良いわ」
あぁ、っぽいわぁ。
「…よし、委員長。競争しよっか」
「競争?」
またなにか変なこと思いついたのかしら。
その割には顔が普通…。
「私に勝てたら委員長の言うこと一つ、なんでも聞いてあげる」
「…うん?」
「その代り、あたしが勝ったらみどりんの胸を30分揉みしだかせてもらう!」
「ちょっと待ちなさいよ!」
あぁ、アキちゃんの顔がサンドバックに…!
「私は関係ないじゃない!」
「えー、でもCよりFがいいー」
「だったら私と勝負しなさい!」
「だって同じ種目に出てるのは委員長だもーん」
「あんたがだもんとか言うな気持ち悪い!」
なんとなくアキちゃんの意図は読めてるけど、ご褒美をもうちょっと変えましょうよ。
30分は割と死亡フラグだと思うわ。
むしろ30分も揉んだらアキちゃんの手が腱鞘炎になるんじゃないかしら。
「それとも委員長は親友が守れないとでも言うんですかぁー?」
「え?え?」
「あたしを守るキャパシティがあるんだったらみどりんも守れるよねぇ」
「もちろん!」
まぁなんていやらしい笑顔。
自分の言ったことに気付いたヒナちゃんは、恐る恐るみどりちゃんを振り返った。
「あっ、ご、ごめん。みどり…」
「ヒナ…万が一ってこともあるのよ…」
「で、でもみどりのこと守るから!」
「そうよね、ヒナが負けるわけないわよね」
みどりちゃんはふぅとため息を吐くと、アキちゃんを見た。
アキちゃんは相変わらずニヤニヤしてる。
「じゃあ委員長、あたしと直接対決するまで負けちゃダメだよ」
「そっちこそ、脱落しないでね」
「委員長と一緒にしないでよ。あたしは本番に強いんだから」
「…むぅ」
「ヒナ、絶対負けないでね!こんなやつケチョンケチョンよ!」
「うん、みどり。私頑張るからね!」
みどりちゃんがいきり立って自分たちのスペースに戻っていくと、ヒナちゃんも慌てて追いかけて行った。
アキちゃんは楽しそうにひらひらと手を振っている。
ほんと性格が良いんだか悪いんだか。
「アキちゃん、いくらヒナちゃんのためとはいえあの条件は無いわよ」
「あれ、やっぱりわかった?そんなにわかりやすかったかな…」
「そうでもないと思うわ。二人は気付いてないと思うし」
ヒナちゃんが本番に弱いのはきっと他人の目を気にしてるからだわ。
委員長だから、周りの期待にこたえたいのねきっと。
緊張の仕方が悪いから、体が硬くなるんだわ。
「緊張はどうかわからないけど、あれなら硬くはならないわね」
どうしても叶えたい目的があれば人の目なんか気にならないものだから。
アキちゃん自身がそうやって生きてきたから、言えること。
だから夏雄があんなに気にしている過去も、アキちゃんにとってはどうでもいいこと。
自由に好きなことをするために、他人を捨てたのよね。
それでも困ってる人を放っておくことができない辺りが人間らしくて可愛い。
「アキちゃん、大好きよ」
「…何、急に」
「別にー」
よしよしと頭を撫でると少しだけ耳を赤くしてそっぽを向いた。
可愛い可愛い私の妹もどき。
ヒナちゃんが本気を出しても、それでも彼女が勝ちますように。
私一人ぐらいそんなことを祈ってもいいわよね、勝利の女神様。