体育祭の終わった次の日の午後。
金曜日ということもあり、なんとなくけだるい気持ちいっぱいであたしは数学の授業を受けていた。
「はい、では問題集の15ページを…」
問題集は確か引き出しの中。
ごそごそと汚い机を漁る。
ザリ
「っつ」
切れるような痛みが手に広がって、慌てて手を引いた。
紙で切れたかな、と思って痛かった部分を見ると、紙で切ったにしては十分すぎる傷ができていた。
「なんだろ」
同じように机を漁っている周りの音に紛れさせるようにぼそぼそと文句を言いながら机の中を覗きこむ。
さっき探った一番上の辺りに、キラリと光る何かがあった。
それは小さくても立派な凶器、剃刀だった。
むぅと眉間に皺を寄せて周りを見ると、一人の少年と目が合った。
「あいつか…」
「どうかしたかー、アキ」
さっきまで寝ていた巽が隣で大きく伸びをし、あたしの手を見てぎょっとした。
「なんだそれ!?おい、保健室に…」
「平気」
授業中ということもあって、驚いたにしては小声な巽を制する。
「お前、それ平気ってレベルじゃないぞ」
席が一番後ろで窓際なことが幸いしてか巽以外は気付いてないけど既に一滴床に落ちてしまったほどに血がでている。
「絶対ヤダ」
「何の意地だよ」
「授業中に騒いだら犯人の思うツボな気がする」
「漫画の見過ぎだお前は」
とりあえず手に持っていたハンカチで手を縛り、止血してさきほど目が合った少年をガン睨みする。
今はこっちを見てないけどさっきはしっかりこっち見てやがった。
「どう復讐してくれようか…」
「お前、その前に理由を考えろよ」
理由…?
同じクラスメイトということ以外はまったく記憶に無い。
「また知らないうちに喧嘩うったんじゃねーの?」
「どうかな」
最近は比較的平和だったけど。
昨日の体育祭だってそこそこ普通にみんなの邪魔にならない程度に頑張ったはずだ。
「態度が悪いんだろ」
「巽にだけは言われたかないわ」
それにあたしの記憶に残らないほど内向的なヤツだろうし恨みを買う覚えがほんとにない。
普段おとなしいやつほどキレると怖いというけど剃刀とか怖すぎる。
「どうすんだ?」
「まぁ初犯っぽいし放っとく」
「いいのかよ」
「こんな陰険なことしてくる奴構うのも気持ち悪い」
「確かにキメェな」
あたしに後でこっそりとでもいいから保健室に行くように言うと、巽はまた寝に入った。
さて、ほんとに何もなかっただろうか。
あたしに覚えがない、ということは兄ちゃん関係かな。
兄ちゃんは良くも悪くも有名だ。
才色兼備、文武両道、加えてあのエセ紳士っぷり。
考えれば考えるほど兄ちゃんにイライラしてきたのでそこで考えるのをやめた。
ガラリとドアが開いて金髪が覗いた。
相変わらず学校には不釣り合いだと思う。
「おう、どうだ?」
「完治!」
「無理だろ」
保健室には似つかわしくない容貌の巽だが、これでも医者の息子だ。
心配になったのか保健室に覗きに来たらしい。
完治したとはいえないまでも養護教諭による消毒やらで気持ち的には良い感じというやつだ。
「切り口自体は綺麗だったから怪我は残らないってさ」
「それでも痛むに決まってるだろーが」
「まあジクジクと潜むような痛みが…」
「ほらみろ」
綺麗に包帯巻いてもらったじゃねーかとあたしの手を取る巽はずいぶん紳士的に見える。
見た目はヤンキーだけれどこう見えて硬派なのだ。
「で、原因は思いついたのか?」
「いーや、また兄ちゃん関係じゃないの?」
「夏雄さんは良い意味でも悪い意味でも有名だからな」
人気があれば妬むものも居る。
まぁ当然の宿命とはいえるけど。
「けど原因がそれだと面倒くさいなぁ」
この学校に兄ちゃんが居るわけじゃない。
だからこそ解決しづらい。
「まぁまだ夏雄さんが原因だと決まったわけじゃねぇしよ」
「それもそっか」
それにまぁ今回限りかもしんないし。
今日は特に何も考えずに帰宅し…
ガラリ
「失礼します」
…なんというタイミング…。
開いたドアから現れたのはまるで親切を絵にかいたような少女でした。
「…まっつー?」
…いいんちょー…!
何もこのタイミングで来なくても…!
「…!…怪我したの!?」
ベッドに座っていたあたしの元にすばやく駆け付けると、心配そうに手を取って悲しい顔をする。
その顔をあまり見たくなくて、なんとなく手を隠すとまた少し悲しそうにした。
「ちょっと、ドジっちゃって…」
「大丈夫なの?」
ってこらこら。
なぜそこで私じゃなくて巽に聞く。
「…だって、正直に答えてくれそうもないし…」
いつのまにあたしは委員長の信頼を失っていたのだろうか…?
いや、そもそもそんな信頼関係一切無かったけど。
「それで、どうなのかな。能登代君」
「あ、あぁ。心配しなくても、これぐらいは平気だろ」
巽は委員長から目を逸らすと、あたしの頭をぐしゃりとなでた。
女の子苦手だねぇ、たつみん。
…あれ、あたし女の子扱いうけてなくね?
「そこそこ深そうだったけどただの切り傷だしな。
心配したところでかわらねぇよ」
「…そうなの?」
「それより!委員長はどうしたの?」
なかば強引に委員長に矛先を変える。
委員長は、あぁと声をあげると困ったように笑った。
「担任の先生に荷物頼まれちゃって」
ひらりと手をあげると、そこには白い紙切れ。
「なに?」
「うちのクラスの今日休んだ子の名簿」
「養護教諭なら今でかけてるし机の上に置いといたら?」
「そうしようかな」
灰色の机に紙と重しを乗せると、委員長はまたこちらに歩み寄ってきた。
「…痛そう」
もう帰るものだと思って油断していたらしい。
いつの間にかあたしの手は体より前に出ている。
白い包帯が痛々しく目に映える。
「そうでもないよ」
巽から「さっきはジクジク痛むって言ってたじゃねぇか」という視線が刺さってくるけど気にしない。
女性の前でむやみやたらと痛がるなんてかっこ悪いじゃない。
えぇ、そこはもう淑女の嗜みってやつですよ。…違う?細かいこと気にしないです、はい。
「利き手を怪我しちゃったんだね」
「よく知ってるね」
利き手の話なんかしたことないけど…。
「勉強会の時とか夏休みの宿題のときとか、私と逆の手で勉強してたの覚えてたから」
なるほど。
あたしは全然覚えてなかったけど。
賢い人っていうのはそういうことまで覚えちゃうもんかね。
「利き手っていってもお箸は持てそうだし大丈夫じゃないかな」
「筆記用具も持てそうだね」
暗に勉強しろってか!がるるるる!
「…ね、今日の晩御飯当番は?」
「あたしだけど」
あ、嫌な予感。
「作りに行こっか?」
委員長は危機感というものが抜け(略
「遠慮します」
「…やっぱりだめ?」
「いえいえいえ、お暇じゃないでしょうよ委員長」
「そうでもないよ?今日は宿題もないし」
巽が生温かい目をしている。
助けろよ。
「…に、兄ちゃんにかわってもらうよ」
十中八九、カレーになるだろうけど仕方ない。
委員長に迷惑かけるよりはカレーで我慢しよう。
「私に迷惑かけるのはダメで、お兄さんに迷惑かけるのはいいの?」
「いやいや、家族だからね?」
「そっか、それもそうだよね」
ほっ。
これ以上何か言われたら断りきれないところだった。
危ない危ない…。
「…ごめんね。何もできなくて」
…委員長はもしかしてまだHP手伝ったことに感謝してくれているんだろうか。
なんとか委員長に気にしなくていいよと伝えられないかな…。
「別に、委員長が謝ることないよ。
というかまぁぶっちゃけ委員長関係ないんだからそこまでしなくても…」
「おい、それは言い過ぎだろ。アキ」
う…。
…だって関係無いですやん。
お世話になるよりゃいいかと思って…。
「委員長は優しい子なんだからお前みたいな無鉄砲は放っとけないんだろ」
「能登代君、そういうわけでもないんだけど…」
「だからそういう台詞は委員長より立派になってから言えって話だよ」
巽、お前も委員長の言ってることスルーしてないか。
けどまぁ巽の言うことももっともだなぁ。
とはいえあんまり委員長に助けてもらうのも申し訳ないし。
「じゃあ巽、あたしにどうしろっての」
「あ?そうだなぁ」
「二人とも、私の話聞いてる?」
「「うーん…」」
「…聞いてないね」
委員長よりしっかりってどうしろと。
そもそもあたしとしては兄ちゃんよりは立派な気でいたんだけどなー。
「あぁー…まぁ、その、だな」
「お、どうしたね。たつみん」
「とりあえず今は委員長の好きにさせるしかねえんじゃねーか?」
巽、それ解決してない。
「うん、それでいいと思うな。能登代君」
「だ、だよなー」
このダメヤンめ。
普段は硬派でも肝心な時にふにゃっふにゃだよ。
このふにゃヤンが!
「…委員長は自分の守れる範囲の許容量というものを超えてる気がする」
「大丈夫、まっつーを守れるくらいのキャパシティはあるよ」
小さくガッツポーズをとるその姿勢は大変可愛らしい。
が、今のあたしには大変小憎らしい。
委員長に危機感がないんじゃなくてあたしに威厳がないのか…?
もっとワイルドにならないとダメ?
「何が食べたい?」
「…お茶漬け」
「それは消化に悪いからダメ」
「お茶漬けとか可愛くねえなぁ」
「黙れたつみん」
控え目に笑う委員長とニヤニヤ笑う巽。
…ぬぅ。
「委員長、あたしの顔見えてる?」
「うん、見えてるよ?」
どうして?といった風にきょとんと首をかしげる。
「とっても不機嫌な顔をしてると思うんだけど」
「…うん、でも耳ちょっとだけ赤いよ?」
どこを見てんだどこを。
それは怒りと呆れからきている赤さだ。
「諦めろアキ」
誰のせいだよ。
あたしはかっくりと肩を落とすと、無償におでんが食べたくなった。