真っ白なものが好きだった。
誰のものにも染まっていないもの。
別の色に染まってしまうと白に戻すのは難しい。
そんなものに一滴だけ違う色を入れるのが好きだった。
混ぜ切ってしまうのは嫌いだからそっと揺らさないように眺めるだけ。
ざわざわと騒がしい廊下は白くて穏やかだった水に黒を混ぜたような奇妙さがあった。
遠くから伺っているのは明日香かトマ子か。
素行不良の生徒が問題を起こしたってこんな騒ぎにはならない。
真面目で今まで特に目立つことのなかった優等生が、不純交友。
だから目立つ。
「失礼します」
「はい、どうぞ」
普段とは違う真面目な声。
伺うような視線。
生徒指導室、なんて初めてだ。
よく呼び出されていたのはせいぜい小学生ぐらいの頃。
その頃はそんな大層なものはなくて、職員室に直接呼びつけられていた。
どうしてこんなことをするの、わかっていてやったの?
そんな言葉にただ黙ってうつむいていた。
「やってくれたわね、城之内さん」
こいつの、自分の想像と違う反応は結構嫌いじゃない。
理由を聞いたりせず行動の是非を突きつける。
教師としては本当に最悪で、子どもっぽい。
「さすがの私も揉み消したりはしてあげられないわよ?」
「いらないよ」
「ってことはやっぱり狙ってやったのね。
あーもう、教頭になんて言い訳しようー!」
「吉沢に手を出してるなんて噂がもし尾ひれにあってもさすがに信じられないんじゃない?」
「これでも担任なんだから、関係なくてもあなたたちの不祥事は私の不祥事なの!」
「証拠はないよ」
そう、証拠はない。
噂になっているのは「城之内が女の子を襲って遊んでいる」ということだけ。
放送部の部長が言いふらしているだけの噂。
演劇部に置いていた私物、写真、全て引き上げた。
同じ演劇部である明日香に話を聞いても本当のことを話す度胸はない。
私が学校を去ることになればバンちゃんもついてくる。
バンちゃんがいなくなるようなことを姫がするはずもない。
あともし噂の真実性をもたせる発言ができるとすれば、木田かもしくは……。
「まぁ、もし噂の尾ひれに吉沢の名前があったら犯人は木田だね」
「あぁ〜……あの時快楽に身を任せなければ……」
「今更それ言う?」
不覚にも少し笑ってしまって、嬉しそうな吉沢の顔に気まずくなる。
やめてよ、そんな顔しないで。
「学校に居られなくなってもいいんじゃない。
水商売とか似合うよ」
「今更男の子で満足できるかしら」
「そこかよ」
吉沢は真偽を問うよう言われていたんだろう。
そしてあまり疑わしい行動は慎むように、という注意をしなければいけなかった。
そんな先生らしい説教をする気は端からなかったようでただだらだらと話を続けた。
ヤラしいことをするでもなく話すのはピロートークのときだけだったから、妙に落ち着かない。
これがただ説教をされていたなら逆に落ち着いていられたのに。
「それで今度は何をする気なの?」
なんだと思う、と聞いてやると首を捻った。
「本人は否定している、でいいのよね」
どっちでもいい。
退学になったら運が悪かったと転校するだけだ。
私の学校がどこだって、行かなくたって、親は気にしない。
「そうだ、お茶菓子食べる?美味しいおせんべいがあるのよね」
「生徒指導室を私物化してんの?」
「私物化っていうか先生達の談話室になってるわね」
使われる頻度の少ない部屋。
本来なら今みたいに問題のある生徒を呼び出すための部屋だけれど、カウンセリングルームとしても使われる。
心の悩みを持った生徒が、救いを求めて。
「……相談に乗ってよ、せんせー」
「あら、カウンセリングの先生を呼んであげましょうか?」
「いらない」
「城之内さん、担任の先生に頼るなんて可愛いところあるのね」
「そこで茶化すあたり本当に先生っていう職業に向いてないな」
本当に水商売に転職したほうがいいんじゃないだろうか。
ひとつ溜息をついてお茶を淹れている背中に声をかける。
ぽたりぽたりと水を溢すように。
「何をしても、何かがわからないんだよね」
何も言わない背中。
シュンシュンと音を立てる湯沸かし器。
妹のご飯を作る母の姿を思い出す。
食パンに味をつけられることに気付いたのは、いつだっけ。
妹が生まれる前はどうやって食事をしていたんだろう。
バンちゃんはどうして料理を覚えたいと思ったんだろう。
情熱が、熱が、熱さが、足りない。
「吉沢はエッチが好きだよね」
気持ちいいから。
感情が満たされないなら、身体から。
寛子と抱き合ったときに何を考えていたっけ。
「好き、というかご飯みたいなものよね」
「三大欲求?」
「他にも趣味とかあるのよ。スポーツも得意なんだから」
「バレー部も兼任してたっけ」
「バレーはできないんだけどね。高校生のときはバスケ部だったのよ」
それで相田と繋がりがあったのか?
いや、関係ないか。
「懐かしいなって眺めていたら相田さんと目が合ってね」
節操なしか、手当たり次第?
割と生徒に人気のある教師だったから、手を出したのだと思っていた。
何人かに目星をつけて、チャンスがあれば手を出す?
それにしては姫やトマ子に対しては積極的に動いていたように思う。
「あんな子だとは思ってなかったけど」
「あんな?」
「元々ちょっと男の子みたいなところはあったけど、あそこまで王子的な振る舞いは新鮮、というか」
吉沢は急須を机の真ん中に置くと、静かに私の顎に指を当てた。
中指一本で上を向かされる。
見上げる、というのは新鮮だった。
「先生って綺麗だよね、って言われたの」
「それだけ?」
「可愛いって言われることは多いけど綺麗なんて言われること少ないし」
整っている、と思う。
そのままじっとりと唇を押し付けられる。
「キスなんて久々で夢中になっちゃって」
「それでやめられなくなった、と」
そこで笑うな。
こっちは呆れている。
「近頃じゃ“しゃんとしなさい”とかそういう言われ方ばかりで女の子扱いされたのが嬉しくてね」
「私も、女の子扱いはしてあげてないけど?」
「うーん」
吉沢は少し顔を離すと数秒私を嘗め回すように見た。
指が顎から唇へ、鼻へ、眉間へ、額へ。
頭のてっぺんまできたらそのまま頬をなぞる。
「……そうね」
頷いている癖に手が離れない。
「相田さんとは全く別物ね」
当たり前だ。
一緒にされるのは腹が立つ。
抗議のために指先に噛み付いてやった。
「あっ、こういうのもいいかも」
やめろ、変な趣味に目覚めるな。
……いや、もう手遅れか?
歯を離すとその指先を自分で舐めやがった。
「相田さんに比べたらご主人様は地味だし、女性的だし、高圧な態度で支配しようとするし」
その返事に失望するでなく黙って見据える。
嫌味でもなく考えながら言葉を紡ぐ姿は少女のようでおかしかった。
年上の大人の意見を聞く。
ここは生徒指導室だった。
「でもなんというか、“質”が高い?」
「なにそれ」
「相田さんには相田さんの悪さがあって、私はご主人様の悪さのほうが許せたというか」
消去法かよ。
どっちがいい、じゃなくてどっちが嫌かって話。
「執事喫茶とかホストに会ってる感じで嬉しいんだけど後から虚しくなったんですよね」
吉沢にはそういう態度に見えるのか。
私たちの見方が違うのか、相田が人によって態度を変えているのか。
どっちだろう。
二人きりのときおかしいと感じるのは、私が原因?
「ご主人様の方が最初から使い捨てだってわかっているから虚しいはずなのに、逆なんです」
どっちも所詮使い捨てなら切り捨てられたときのショックが小さいほうを選ぶ。
私ならそもそも近寄らない。
こんな風に化粧の匂いが移りそうなほど傍には。
……というか、さっきからおかしくないか、こいつ。
肩膝が椅子に乗り上げて首元をむさくるしい胸が圧迫している。
先生の態度からちらちらと敬語に。
目に熱が込められて見てるだけで気持ち悪い。
「吉沢」
「はぁい」
「性指導をしろって教頭に言われたの?」
「そんな教頭なら良かったのに」
そんな教頭がいてたまるか。
「ご安心ください、生徒指導室は生徒の秘密を守るために防音です」
「この学校防音鍵付きの部屋多すぎ」
「軽音楽部の部屋もそうしてもらえないかしら」
あれは防音が間に合わないぐらい爆音で演奏してるだけでは。
指で自分の胸元のボタンを外したようだ。
むわりと谷間の熱気が押し付けられる。
あぁ、鬱陶しい。
付き合ってやる必要はないけれど、他に何をする気にもなれなくて臀部に手を伸ばした。
安いスーツの上から下着の線をなぞる。
どこで吉沢のスイッチを入れてしまったんだろう。
流されるのも楽じゃないのに。
「はっ……ぁん、嫌そうですね」
「わかってるならやめてくれない?」
「あぁん、怒らないで。でも付き合ってくれるんでしょう?」
上から見透かされると腹が立つ。
目を見なくて済むよう首に歯を立てる。
内出血はしないように唾液で滑らせると高い声が上がった。
「声抑えなよ」
「防音なのに」
「抑えた方がまだ好み」
「ぁ……っ、んん、そういうことなら」
うるさい声が小さくなって、布の擦れる音が一番響くようになる。
スカートをたくし上げて下着の上から指でなぞる。
後ろから手を伸ばしているからか陰核まで届かず丁度濡れている辺りを擦った。
いつから興奮し始めていたのか。
「あまり疑わしい行動は慎むようにって注意するよう教頭に言われなかった?」
「んっ、そうなんだけどっ」
興奮する息を落ち着かせる気の無い吉沢の答え。
ブレーキなんてないようで自分で胸をさらけ出した。
ベビーパウダーのような香りがして少し落ち着く。
「咥えてもらえますか」
「命令すんの?」
「『お願い』します。ご主人様」
強要ではない。
逆らうのも面倒で大きく乳頭を覆うように雑に咥える。
舌が嫌々先端に触れるとうっとりとした溜息を吐かれた。
「こういうのもいい……」
もうなんでもいいんじゃないの。
呆れつつ舌で飴玉みたいに乳首を舐めているとゆったりした喘ぎ声が小さくあがる。
そのまま萎えればいいと思うのに吉沢の身体がどんどん熱くなって首にしがみつく腕が強くなっていく。
おしつけられた身体が汗を噴出していて、そういえばここは冷房がないのかと今更気付く。
影になっていたから涼しく感じたのか。
「ご主人様、知らないでしょう?」
「なに、偉そうに」
「焦らされることに幸せを感じることもあるんですよ」
手に入らないと欲しくなる。
手に入るまでの時間が苦しく愛しい。
そのまま忘れてしまえとゆっくりしていたことが逆に燃え上がっていることがある。
「あなたのなんでもない態度が、もっともっとって、誘惑するの」
誘ってるのは、私だと言いたいのか。
にらみつけて強く肌に噛みついた。
胸に赤い痕が残る。
吉沢は少しも嫌がる素振りを見せずに痕を撫でた。
「誘惑するから、誘惑し返したら、怒る。難しい人よね」
見つめ合っていた瞳が揺れる。
この目には見覚えがあった。
一際強い目。
抑えきれない、熱。
誰かに憎まれていたい。
そんな私の願望に似た、真逆の目線。
……冗談じゃない!
「責任取れ、なんて今更言うの?」
カラカラになった喉でなんとか出た言葉はとても情けないものだった。
気付けば吉沢の口調は普段の先生のものに戻っている。
それでも戻らない目の潤み。
瞳の熱さ。
肌の温度。
「そんなことは言わないけど、……でも、考えもしなかったのね」
クスクス。
うふふ。
笑い声に混ざって幻聴まで聞こえてくる。
「可愛い」
やめて。
耳を塞ぎたくなる。
「あなたが好きよ、城之内さん」
その目は姫と同じ。
熱を孕んだ瞳。
相田を見ていたときの憧れの目ではなかった。